み言葉のいづみ
輝く人生をあなたに
2014-09-01
千代崎 備道
しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。
(箴言十六章31節)
若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが。
(箴言二十章29節)
私たちが天国に行ったときには、栄光のからだに変えていただけることを知っています。でも、地上での人生
は失敗や罪のために、とてもではありませんが、自分の人生に栄光があるとは思えないかもしれません。しか
し、聖書は私たちに「栄光から栄光に変えられる」と語っています。今すぐに、とは言えないとしても、やがて輝
くような人生となることを願います。
上にあげた二つの聖句は「しらが」について語っています。もちろん、頭髪の話では無く、年長者のシンボルと
しての「しらが」です(ですから、白髪とは違う状態になっても心配はありません)。旧約聖書は高齢者への尊敬
を繰り返して命じています。特に正しい人生を送った人が模範として敬われるのは御心にかなったことです。そ
の尊敬は最初からあるのではなく、長い時間をかけて培われていくものです。若いときは自分の力に頼り、自分
で栄光を得ようとします。しかし、人生の苦難を経験し、謙遜を学び、神からの知恵を学び、神の恵み深さを味わ
い知ったとき、その人が醸し出すものは、若い人には太刀打ちできない、重みのある言動となっていくのです。
旧約聖書の言葉であるヘブル語では、「栄光」という言葉の語源は「重い」という言葉です。
力や明るさに溢れる若者の賛美も主の栄光を現します。信仰の人生を歩んでこられた方々の祈りも主の栄光
を述べています。若者にも年長者にも大切なことは、主を畏れ、主の言葉に従うことであり、それが人生の知恵
であることを箴言は教えています。それが、栄光から栄光へと進む生き方だからです。もちろん、そのような生き
方は簡単ではないかも知れません。しかし、主に従う生活は、自分の力だけで出来るのではなく、主を信頼する
信仰による毎日の結実です。ですから、次の御言葉を忘れないようにしましょう。
「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じ
ようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼ
う。わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ書四十六章3節後半から4節)。
