み言葉のいづみ
神に祈ることは神を知ること
2013-08-01
千代崎 備道
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。
(エレミヤ書三十三章3節)
「水をくんだ僕たちは知っていた」(ヨハネ二・9、口語訳)。カナの婚礼で祝いのぶどう酒が無くなったとき、イエス様は水をぶどう酒に変える奇跡を起こされました。それを見ていた弟子たちはイエス様が神から遣わ
されたお方だと信じました。それ以上に驚きを体験したのは、水をくんだ人たちでしょう。こんなに水を水がめ
に入れて何になるのだろう。少し不満をおぼえながら重たい水を運んでいた彼らは、イエス様への不信感が
すっかり変えられる経験をしたのです。
ペテロが捕らえられて殺されそうになったとき、教会では弟子たちが祈っていました(使徒十二・5)。神が
天使を遣わしてペテロを救ってくださったとき、最初は信じられなかった弟子たちですが、後には自分たちの
不信仰を恥じつつ、驚きをもって、この逸話を語り伝えたことでしょう。
去年から特伝の数週間前から礼拝後に祈り会が持たれるようになりました。そこで祈られた方たちは、神
様のお働きをより多く感じることが出来たのではないでしょうか。祈り無しでも物事は進んでいきます。しかし、祈った人だけが知ることの出来る恵みがあるのです。何をするにしても、祈って準備したならば、不思議な神
様の助けや導きを感じて、祈らずに行ったときよりも多くの感謝が生まれるのです。
神様に呼びかけるなら、神様は祈りに応えてくださいます。それは、神様を前よりも良く知るということです。
悲しみの時に祈った人は、慰めの神様に出会います。困難の中で恐れている人が祈るならば、励ましてくださ
る神様を知ります。何よりも知らせていただきたいのは、愛と赦しの神様です。御心を悲しませるようなことをし
てしまったとき、叱られるような気がして神様に背を向けたくなることがあります。しかし、恐れつつも神様に近づ
いて、謙って悔い改めるとき、神様の無尽蔵の赦しを知らされて、その恵みの大きさを知らされるのです。
神様に祈ることは、神様を知る機会です。そして、神様がどれほど素晴らしいお方であるかを知ったとき、もっと
神様に祈りたくなるのです。祈りによって神様に近づこうではありませんか。
