み言葉のいづみ
あなたのために義の太陽が昇る
2012-07-01
千代崎 備道
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしが
ある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。
(マラキ四章2節)
暑い季節がやってきました。上前淳一郎氏の「読むクスリ」という本の中でこんな事を読
んだことがあります。
・・・・日本のある食品会社が、中近東で魚の缶詰を売ろうとしたが不人気だった。原因を調べ
・・・・日本のある食品会社が、中近東で魚の缶詰を売ろうとしたが不人気だった。原因を調べ
てみたら、会社のマークが太陽であることが問題だった。その地域では、太陽は灼熱をもた
らす恐ろしい存在というイメージがあったので、敬遠されたようだ。…
北欧の人々は、長い冬の間の短い日照時間を補うかのように、夏の間は寸暇を惜しんで日光
浴をするそうです。同じ太陽なのですが、地域や文化によってイメージが正反対なのですね。
ある人にとっては恐ろしい存在であり、ある人にとっては恵み深いお方です。それは神様
が変わったのではなく、人間の側の態度が原因です。神様を愛し敬い、神様のなさることに
間違いはないと信頼するなら、どんな状況にあっても神様は恵みの光を注いでくださると受
けとめることが出来ます。神様に背を向けるような生き方をしていると、神様の光に照らさ
れることは恐ろしいと感じます。
預言者マラキを通して神様は、「義の太陽」が昇る時が近いことを告げられました。その
光と熱は、高慢な罪人にとっては焼き尽くす裁きの炎となりますが、主を畏れ敬う人々には
病を癒す光となるのです。私たちはどちらの光を受ける者でしょうか。もし、自分に罪があ
ることに気がついているとき、光の前に出ることは恐怖です。そのため、神様に近づくこと
を控えてしまいたくなるかもしれません。聖書の言葉が心に迫ってきて、自分の問題をずば
り指摘されるのを恐れて、神様との距離を取ってしまいたくなることもあります。しかし、それでも神様に救いを求めて近づいていくとき、神様は私たちの罪を癒してくださるのです。
自分は悪くない、と高慢になったり、神様を愛するよりも罪の状態の中に留まることを愛
するとき、神様の光は裁きとなります。でも、神様は私たちを滅ぼすのではなく、御言葉の
光を用いて、心の中を照らしてくださるのです。それは、私たちが悔い改めて、神様の光に
よって救われるためです。神様の光から遠ざかるのではなく、光に向かって進んでいきまし
ょう。そのとき、神様が進むべき道を示してくださり、あなたの義の太陽となってくださる
のです。
