み言葉のいづみ
主の手は命と死をも越えて
2024-04-01
千代崎 備道
よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。生きている者、ただ生きている者だけが、今日の私のように、あなたをほめたたえるのです。
(イザヤ書三十八章18~19節)
復活を知らなかった旧約時代の信仰者たちは、命の危険の中で祈る時に、「死んだら神様を賛美できないので、生かしください」という祈りを度々捧げました。ヒゼキヤという王は国際危機が迫る中で不治の病であることを告げられ、自分のためではなく国を守るために、必死で神様に延命を求める命をしたことがイザヤ書や列王記に記録されています。神様は彼の祈りを聞き入れて、寿命を十五年延ばしただけでなく、神様が国の都を守ると約束をしてくださったのでした。冒頭の聖句は、その時の感謝の祈りです。
人々は神様だって死んだらどうすることもできない、という考えの中におりましたから、そのように祈るしかなかったのです。でもキリストの復活により、私たちも死んだ後に天国で永遠の時が与えられると信じることができ、さらに天の御国では救われた大群衆が国や言語を越えて一緒に神様を賛美している様子が黙示録に描かれています。
神様の御手はどこまで伸ばされるのでしょうか。人間の理解では、死の先には届いていないかのように考えてしまいます。でも「主の手は短かろうか」。死さえも越えて伸ばされているのです。私たちが死んだ後にどうなるかは、知ることはできません。でも、神様を信頼することができます。きっと神様は最善のことをしてくださる。そう信じること、私たちは平安と希望をあたえられるのです。
昨年暮れから今年初めにかけて何人もの兄弟姉妹を天に送りました。また新しい命の誕生もありましたし、キリストを信じて救われ永遠の命を受けた方もおられます。「母の胎にいるときから、白髪になるまで」、いいえ、黄泉に下ってさえ、神様は生ける者も死せる者も支配しておられるのだと私たちは信じています。
自分の手では届かないときは、神様の御手に委ねましょう。私たちが考えていること以上のことを神様はなさることがおできになるし、また不思議なことをしてくださるのです。そのことを信じて、今は、生かされている私たちにできる限りのことをするのです。今、生きている意味も人生の目的も、全ては神様と共にあります。ただ主を信頼し、従っていこうではありませんか。
