み言葉のいづみ
神の国の偉大な者
2023-08-01
千代崎 備道
女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
(マタイの福音書十一章11節)
「女から生まれた者」とは、アダムとエバという特例を除けば、全人類を指します。イエス様ご自身がバプテスマのヨハネの偉大さを証ししているのです。しかし天国に入った者は全員が彼よりも偉大だというのは驚くべきことです。決して矛盾を語られたのではありません。「出ませんでした」と過去形で語っておられますから、ヨハネ以降の人物は別なのかもしれませんが、もう一つは、人間的な方法で生まれた者、パウロならば「肉から生まれた者」と言うでしょう。それに対して、天国に入るのは「水と霊から生まれた者」(ヨハネ三・5)だとイエス様はニコデモに教えられました。人間の努力や才能ではなく、神様の恵みによって救われることを信じるときに、聖霊が働いてくださり、洗礼を受けるのです。
バプテスマのヨハネの偉大さは、彼のところに多くの人たちが集まって悔い改めのバプテスマを受けたことや、彼の死後も影響を受けた人たちが多くいたことを聖書は記し、『使徒の働き』に登場するアポロもその一人でした。では、天国に入る者の「偉大さ」とは何でしょうか。ヨハネの素晴らしい点は、イエス様のことを、「私にはその人の足のひもを解く値打ちもない」と語り、「彼は栄え、私は衰える」と言ったことです。イエス様をキリストと認め、自分よりも上のお方だと証言できるのは、謙虚さがなければなりません。
神様は高慢な者を退けるお方ですから、ヨハネが人々の評価を受けておごり高ぶっていたら滅ぼされたでしょうが、彼はイエス様の前に謙ることができました。私たちも自分や他者の評価を求めたり高ぶったりする罪を悔い改め、自分の罪を赦すために十字架についてくださったキリストを信じるとき、私たちの心は自己の罪を認める「砕かれた魂」となるのです。その点では、十字架以前に殺され、罪の悔い改めをできなかったヨハネよりも心を低くすることができた。ですから「彼より偉大」だとイエス様は語られたのです。
教会は天国の「ひな形」です。自分の罪を認め、キリストの前に謙り、自分の力ではなく、ただイエス様の恵みにすがって十字架を信じることが最も賞賛されます。素直な幼子は大人よりも純粋に自分の小さな罪を認め、イエス様を信頼する点で天国に相応しい、とイエス様は教えられました。大人も幼子のような素直な信仰を持ちたいと思います。
