み言葉のいづみ
御御言葉には権威がある
2009-08-01
千代崎 備道
イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
(マタイによる福音書7章28~29節)
イエス様の教えは権威に満ちていました。しかし、その権威は律法学者たちのように威張
りくさったものでも、人々を縛り付けて苦しめるものではありませんでした。彼らは自分が
律法を守っていないのに、他の者には重荷を負わせ、裁いていたのです。
イエス様の権威には、愛と力がありました。マタイは、この直後の8章では三つの癒しの
記事を続けることで、キリストの権威がどんなものであるかを示しました。キリストの言葉
は人をきよくします(8章3節、当時この病気は宗教的汚れと考えられていたため、癒しと
ともに清められる必要があった)。また、言葉をかけるだけで癒す権威があります(13節)。
そして、手を伸ばして力を与え、その力で奉仕ができるようにされます(15節)。この三
人は一例にすぎません。さらに多くの人が、御言葉により悪霊を追い出していただき、病気
が癒されたと報告されています(16節)。
神の言葉には権威があります。聖書の言葉は道徳や「良いお話」ではありません。従うべ
き言葉として迫ってきます。その権威を嫌い、自分の思いのままに生きたいと願うとき、神
様に対立する生き方をしてしまいます。そのとき私たちは自分の権威によって歩んでいるの
です。お互いが自分の権威を主張するなら、そこに争いが生じ、審き合いが始まります。
私たちが自分を主とするのではなく、神の言葉の権威に服するとき、愛の神が私たちを守り
助けてくださるのです。パスポートには、所有者の旅程を守るようにとの要請が政府の権威
でかかれています。人生の旅路において御言葉を携え、その権威を認めるなら、どのような
ところを通っても、御言葉が私たちを導いて正しい道に戻してくださり、神に逆らう生き方
から守られるのです。罪や過ちをおかしてしまうことがあっても、赦していただける約束が
あるのです。
天国への人生のパスポートである神の御言葉をいつも手放さずに歩みましょう。そうすれ
ば、神の国の権威を持っておられるお方があなたを守り助けてくださいます。
