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み言葉のいづみ

神様の方が先に

2019-07-01
千代崎 備道
 

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。

それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの

名によって父の求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 

(ヨハネの福音書十五章16節)

 

「神様に祈るなら、何でも適えられ、与えられる」という約束を、自分の欲望を満たすために用いるのは祈りの間違った用い方ですが、神様がキリストのゆえに祈りを聞いてくださるということは素晴らしい恵みです。私たちが神様に「おことばどおり、この身になりますように」と言うときに、神様の方が「私があなたのために何でもしてあげよう」と言ってくださいます。しかも、私たちがこの神様を自分が従うべき主として選ぶ前に、キリストの方から私を選び、遣わし、託された働きを通して実を結ぶようにしてくださったのです。
誰でもクリスチャンになりたての頃は、まず病気や人間関係など、悩んでいた問題からの救いを願います。聖書を通して罪からの救いということが一番重要であることが分かるようになり、キリストの十字架の愛を理解し、このお方に従うことが良いことだと考えるようになります。そして、神様への信頼が成長し、主に従う生き方を選び、決断をする。この段階に至るまで、多くの場合は何年もかかるかもしれません。
ところが神様の方は、私たちの信仰が十分に成長し、キリストを主として従うようになってから救ってくださるのではありません。どれほど未熟な信仰でもあっても、神様への理解が不十分でも、「イエス様を信じます」と告白するだけで、私たちを救い、罪を赦して義と認め、神の子として永遠の命を与え、天国の保証をしてくださったのです。いえ、信仰の告白をするよりまえから、聖霊を私たちの心に遣わして、信じる助けを与えてくださり、時には洗礼を受けるより前であっても祈りを聞き届けてくださるのです。
神様の方から私たちに対して、ご自身が真実なお方であることを証しし、私たちを必ず救うことを約束し、その証拠として御子を救い主として遣わしてくださいました。それなのに、どうして私たちの方が神様を信頼して、神様の言葉に従うことを躊躇(ためら)うのでしょうか。従ったらどうなるかなどと心配するのではなく、神様の愛を信頼して、御言葉に従う者となろうではありませんか。
 

宗教法人日本ホーリネス教団
池の上キリスト教会
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