み言葉のいづみ
十字架と復活による救い
2016-03-01
千代崎 備道
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてくだ
さい。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。
(マルコの福音書一四章36節)
十字架と復活は表裏一体、切り離すことのできない救いの土台です。私たちの罪は十字架の贖いに
よって赦されました。復活は、その贖いが確かに神からのものであることの保証であり、赦された罪人
に永遠の命を与えるためです。このことは、耳にたこができるほどに聞いてこられたことでしょう。
十字架上のイエス様に対して律法学者や祭司長たちは「他人を救ったが、自分は救えない」と嘲りま
したが、イエス様は救われなかったのでしょうか。いいえ、復活こそがイエス様にとっての救いです。イ
エス様ご自身にも救いが必要なのです。どうせ三日目には復活するのだから死ぬのは恐くない、とい
うことではなく、永遠の愛で結ばれている御父から罪の呪いを受けて断絶されることがイエス様の苦し
みで、だからこそゲツセマネの園でイエス様は「できるならば杯(十字架)を取り除いてください」と祈ら
れ、しかし父なる神の御心に従って杯を受けてくださったのです。そして、「我が神、我が神、どうして私
をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。しかし、イエス様は見捨てられて死んだのではあり
ません。復活により、神の愛が裁きに打ち勝ち、永遠の命が死を打ち破ったのです。だから、イエス様
にとって復活が救いなのです。この救いに至るためには、イエス様は十字架を通らなければなりません。
十字架の苦しみがあって初めて、復活の喜びがあるのです。 私たちも救いの恵みを受けるために、時には苦難を通ることもあります。しかし、十字架と復活の主を信じるなら、苦難はすでに救いの始まり
であることを知るのです。もちろん、主が祈られたように、私たちも苦しみを取り除くように神の助けを求
めますが、何よりも御心を信頼して従う信仰を持つならば、神は苦しみさえも用いて、私たちをさらに大
きな恵みに導いてくださるのです。
「救いの勇士」である主を知るとは、苦難の中で十字架と復活の主を仰ぎ、信頼し、従うときに、神の
救いの素晴らしさに触れ、救ってくださるお方が勇士であることを体験することです。今、苦しんでいる
方、救いを必要としている方がおられるなら、主に助けを求めて祈りましょう。苦難は救いに繋がってい
るからです。
