本文へ移動

み言葉のいづみ

神の国の王は?

2023-07-01
千代崎 備道  

国々の中で言え。
「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。」
天は喜び、地は、こおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。
(詩篇九十六篇10、11節)

旧約聖書の中では「神の国」という言い方は、ある意味、当たり前のことです。イスラエルは神の民と呼ばれています。詩篇では93篇から99篇までに「主は王」というテーマが繰り返されています。
日本語の翻訳を比べてみますと、新改訳は「主は王である」と訳していますが、口語訳聖書や、一番新しい聖書協会共同訳では「主は王となられた」と訳しています。「王となった」というのは、それまでは王ではなかったのか、という屁理屈を言う人がいるかもしれません。むしろ、神様の「御座は、いにしえから堅く立ち、あなたは、とこしえからおられます」(詩篇九十三・2)とも書かれているように、天地を造られたお方は、それよりも前から王であり、世界の所有者でしたし、天地が滅んだ後も、新しい天と地を支配される永遠の王です。このお方が世界を正しく治めてくださるとき、世界に生きるものは全て祝福された存在となります。
問題は人間です。最初の人が神様の御言葉に背いたときからずっと、人間は自分が王であると考え、神様の御心に背いて、自分の思い通りに生きてきました。その結果、神様との関係は悪くなり、人間同士も争い合い、苦しめ合ってきました。そして、自然界をも思い通りにしようとして破壊してきたのです。神様は、人間が悔い改めるまで、人間の自主性に委ねて見守っておられ、しかし救いを求める人には手を差し伸べてくださいました。どれほど人間が王のように振る舞って過ちを犯しても、神様はまことの王として私たちを導こうと御言葉を語っておられるのです。
私たちは、キリストの十字架によって救っていただいたときから、キリストのもの、キリストの弟子となりました。でも、自分の思い通りにしたいという自己中心の罪があって、だから揺るがない人生どころか、悩みつつ、自他を苦しめつつ歩んでいます。しかし、詩人は語ります、「主は王である」と。私たちが神様こそが王であると求め、このお方の前にひれ伏し、従う決心をするとき、主が私の王となってくださり、私たちの人生を造り変えてくださるのです。
あなたの人生の王は誰でしょうか。主が王です、と告白するとき、神様が王として私たちを救い、導き、神の民としてくださるのです。

宗教法人日本ホーリネス教団
池の上キリスト教会
〒181-0011
東京都三鷹市井口3-15-6
TEL.0422-33-0018
FAX.0422-33-0061
TOPへ戻る