み言葉のいづみ
五つのパンと二匹の魚
2008-11-01
島津 吉成
イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこか
らパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」…ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取
るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに
言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々
では、それが何になりましょう。」イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かっ
た。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚
も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
(ヨハネ 6章5~11節)
主イエスの前には、男だけで五千人、女性や子供たちも数えたらいったい何人になるのでしょうか、ともかく大ぜいの人々がいました。主イエスは彼らを空腹のままで帰らせたくないと思われます。しかし、弟子のピリポは、「彼らが少しずつ食べるだけのパンを買うにしても、二百デナリでは足りません」と答え
ます。ピリポは、まず、お金の計算をして、「それは無理だ」と言ったのです。
次に、アンデレが一つの情報を持ってきます。それは、少年が五つのパンと二匹の魚を持っているとい
うのです。おそらく、一人の少年が、主イエスと弟子たちとの会話を聞いて、自分のお弁当を差し出したの
でしょう。でも、アンデレは「しかし」と言葉を続けます。「しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何に
なりましょう。」当然の結論です。お腹をすかせた五千人以上の人々を前にして、五つのパンと二匹の魚
では、どうにもなりません。私たちも、しばしば、このアンデレと同じようにつぶやきます。「今、私に与えら
れているもの、それはあまりにも粗末なものだ。直面している課題を前にして、これがいったい、何になる
だろうか。」
けれども、主イエスは、この五つのパンと二匹の魚を少年の手から受け取られます。そして、感謝をささ
げられたのです。そののち、そのパンと魚を裂いて弟子たちに渡されました。それを弟子たちが配ると、な
んと、人々は十分に食べることができ、余ったパン切れで十二のかごが一杯になったのです。この奇跡は
2千年前の昔話ではありません。五つのパンと二匹の魚を用いてくださった主イエスが、今も、私たちと共
にいてくださるのです。今、あなたの手にある五つのパンと二匹の魚を、まず感謝しましょう。そこから、奇跡
が始まるのです。
