み言葉のいづみ
昇天の主
2016-04-01
千代崎 備道
「それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。」
(ルカの福音書二十四章50~51節)
主イエスは復活の後、弟子たちに何度も姿を見せて復活の事実を確信させ、四十日後に天に昇られた。
これをキリストの昇天と言います。主はご自分の力で天に昇られたので「昇天」と書き、人間は神様が召し
てくださったから天国に行けるので「召天」と書きます。天国では天使が大喜びで迎えるのでクリスチャン
の死を凱旋と呼びますが、御子が天に昇られたときは、天ではどれほどの歓声があったでしょうか。キリ
ストの昇天はとても大切なことなのです。
主の昇天について聖書はどう描いているでしょうか。マタイの福音書は直接に昇天の出来事を記してい
ませんが、最後に「全世界に出て行け」と弟子たちに命じ、マルコはその命令に従った弟子たちと共に、目には見えなくても昇天された主が共に働いてくださったことを書いています。ルカは、昇天後、弟子たち
は復活の喜びに溢れていたことを述べ、見えなくても喜びは消えないことを教えています。ヨハネは「わた
しが来るのを」と、主の再来を仄めかし、『使徒の働き』では天使が弟子たちに、主は天に昇られたよ
うに再び天から降りてこられる、と預言します。「第五福音書」と呼ばれるヘブル人への手紙では、今キリス
トは父なる神の右に座し、大祭司として私たちのために取りなしをしていてくださる。だから大胆に祈り求め、御座に近づくことができる、と励ましてます。こうして聖書全体から学ぶと、主が天に昇られたことが私たち
にとってどれほど素晴らしいことであるかが分かってきます。
今はイエス様を肉眼では見ることはできませんが、教会がキリストの体として主の働きを担っており、また
聖餐式で私たちはキリストの体と血潮を受け、私たちのうちにキリストがおられ、私たちもキリストの体の枝
であることを知ります。ですから、私たちが教会に結びつき、聖餐を受け続けるとき、キリストは具体的に私
たちの内にも働いていてくださるのです。私の力は弱くても、今も生きておられる主が力を与え、復活と昇天
の主を信じる信仰によって喜びに満たされ、再臨と天国の希望を持つことが出来るのです。
救いの勇士なる主を味わうためにも、教会と結びつき、聖餐の恵みを大切にしましょう。このお方は、私た
ちが弱い時にこそ強く、どんなところからでも救ってくださる勇士なのです。
