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み言葉のいづみ

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神の口から出る御言葉

2009-11-01
千代崎 備道

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの
ことばによる』と書いてある。」
(マタイ4章 4節)
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせら
れた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あ
 
なたにわからせるためであった。
(申命記8章 3節)
 
  本屋に行きますと、普通の書籍と一緒に聖書は売られています。漁師、王、学者、様々な人々により書かれ
 
た言葉を集めた書物です。その意味では、聖書の言葉は確かに人間の書いたものです。ところが、この言葉
 
を読んだ人が、それを神からの言葉として受け止めたとき、不思議な事が始まります。一つの御言葉が心に迫
 
ってきます。罪を示され、悔い改めに導かれます。そして同じ聖書を通してイエス・キリストに出会い、罪の赦し
 
を体験し、救われるのです。聖書は私たちの思いを変え、心を変え、生き方までも造りかえます。そして、自分
 
の人生や周囲の人にまで大きな影響を与えるのです。その時、私たちは聖書こそ神の言葉であることを認め
 
るのです。
 
  神様は言葉により天地を創造されました(創世記1・3)。また「神のことば」(ヨハネ1・14)と言われるお方が
 
救い主をして来てくださいました。ですから、神の言葉である聖書は、私たちを救い、造りかえることができるの
 
です。この神の言葉が私たちの生活の中で、どのようにその力を発揮するのでしょうか。
 
  クリスチャンになって聖書を読むようになると、宗教とは無関係と思っていた生活の隅々まで、御言葉が心の
 
指針となるようになります。すなわち、神の言葉の権威を認めるようになるのです。そして、日々、御言葉に導
 
かれ、教えられ、恵みをいただきます。その結果、私たちの信仰は強められ、成長し、言葉や行いまでもが変
 
わっていきます。御言葉は私たちを養う心の糧(パン)となります。
 
  荒野を旅していたイスラエルの民を神様は天からのパン(マナ)で養われました。その旅路は苦難がありまし
 
た。人間の罪の故です。しかし、神様は毎日マナを与え、御言葉が真実であることを教えられました。そうして、彼らは神の民として成長したのです。私たちも、様々な苦難に見舞われることがあっても、神様からの糧をいた
 
だきながら人生の旅路を歩みましょう。

御言葉を友とする

2009-10-01
千代崎 備道

  「まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。」

                              (詩篇119編 24章)
 
  詩篇119篇は、大変ユニークな詩篇です。最初の8節は、節の最初の文字がヘブル語の
アルファベットの1番目「アレフ」で始まり、次の8節の各行は2番目の「ベス」で始まる、というアルファベット詩、日本のいろは歌のように作られた、芸術的な詩です。また、最も
長い詩篇であり、さらに、ほとんど全ての節に御言葉に関することが書かれているのが特徴
です。
  1節ごとに神の言葉の素晴らしさ、大切さを、様々な表現で教えています。「みおしえ、
さとし、道、おおせ」などは皆、神様の言葉を意味します。また、旧約時代の人にとっては
律法が聖書の代名詞でしたので、「おきて、戒め、定め」などの言葉も御言葉の意味で使わ
れています。
  この詩篇を作った詩人は、御言葉(あなたのさとし)を喜びとし、また相談相手としまし
た。まるで無二の親友のようです。98節は口語訳聖書では「あなたの戒め(御言葉)は常
にわたしと共にある」と訳されています。悩みの時、苦しみの時に、慰めや励ましを与えて
くれる御言葉は、「苦しいときの友、真の友」です。
  世の中には言葉巧みに近づいてきて、友人のふりをして騙したり利用したりする者もいま
す。真の友である御言葉は、最初は取っつきにくいですが、どんなときも裏切らない、真実
な言葉で語りかけてくれます。時には、苦言もって忠告してくれるのも、本当の友だからで
す。行くべき道に迷ったときに、正しい生き方を諭してくれる、良き相談相手なのです。
  旅は道連れと言いますが、人生の旅路において、聖書と共に歩む人は幸いです。毎日少し
ずつでも、御言葉に触れる生活を心がけてください。「朱に交われば赤くなる」と格言は教
えますが、良い友と交わるならば良い影響を受けます。神の言葉を大切な友として歩むなら、御言葉によって生き方が変えられ、やがて他の人を慰め励ます言葉を語る者となり、良き相
談相手となるのです。神の言葉を喜び、いつも語り合いましょう。
  「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
                                      (詩篇1章2節)

愛に基づく御言葉

2009-09-01
千代崎 備道

主は遠くから、私に現れた。
「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」
(エレミヤ書31章3節)
 
  言葉が信頼できない時代です。様々な種類の詐欺がニュースを賑わせています。嘘の商品
表示があります。嘘と真実を見分けることが出来ないと生きていけない社会は、決して人を
幸福にしません。言葉が信頼できなくなるのは、言葉の背後に自己中心があるときです。自
分の利益のためなら嘘をつきます。自分を正しいと主張するためなら事実をねじ曲げてしま
います。偽りの言葉はコミュニケーションを破壊し、人間関係に争いをもたらします。
  良いコミュニケーションの鍵は、お互いが相手を理解し受け入れようと努力する態度と、お互いが相手のためになろうとする動機です。言葉の土台は愛であるべきです。愛があるな
らば、誤解があっても、やがて分かり合えるようになります。表現の足らないところを思い
やりが補うのです。愛は全てを結ぶ帯です(コロサイ3章14節)。
  神様の言葉の背後には愛があります。語っておられるお方が愛に満ちたお方だからです。
御言葉を通して神の愛に触れたとき、私たちの凝り固まった心は融かされ、殺伐とした心は
潤されます。愛の言葉が私たちを造りかえ、人生を新しくするのです。神の愛を知り、それ
に満たされたとき、その人も愛による言葉を語るものとされるのです。
  聖書の言葉には難しいところがたくさんあります(私も分からないところがあります)。
でも、初めは理解できなくても、御言葉の背後におられるお方の愛を信頼し、読み進めてい
くと、だんだんと分かるようになります。勘違いして受け止めていたとしても、信頼をもって
読み続けるなら、必ず誤解は解けます。時間はかかりますが、継続して読むことが祝福につ
ながります。
  神様はあなたを愛しておられます。これまでの人生でも、あなたに真実を尽くしてきてく
ださいました。そのことを忘れないで、心を開いて御言葉に接するなら、聖書の言葉があな
たの心を満たし、実を結ばせます。神様の愛を忘れて読むと、厳しい言葉に裁かれていると
思い、救おうとされる神様の意図が理解できなくなってしまます。神様が愛をもって語りか
けてくださることを忘れないでください。

御御言葉には権威がある

2009-08-01
千代崎 備道
 
  イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
(マタイによる福音書7章28~29節)
 
  イエス様の教えは権威に満ちていました。しかし、その権威は律法学者たちのように威張
りくさったものでも、人々を縛り付けて苦しめるものではありませんでした。彼らは自分が
律法を守っていないのに、他の者には重荷を負わせ、裁いていたのです。
  イエス様の権威には、愛と力がありました。マタイは、この直後の8章では三つの癒しの
記事を続けることで、キリストの権威がどんなものであるかを示しました。キリストの言葉
は人をきよくします(8章3節、当時この病気は宗教的汚れと考えられていたため、癒しと
ともに清められる必要があった)。また、言葉をかけるだけで癒す権威があります(13節)。
そして、手を伸ばして力を与え、その力で奉仕ができるようにされます(15節)。この三
人は一例にすぎません。さらに多くの人が、御言葉により悪霊を追い出していただき、病気
が癒されたと報告されています(16節)。
  神の言葉には権威があります。聖書の言葉は道徳や「良いお話」ではありません。従うべ
き言葉として迫ってきます。その権威を嫌い、自分の思いのままに生きたいと願うとき、神
様に対立する生き方をしてしまいます。そのとき私たちは自分の権威によって歩んでいるの
です。お互いが自分の権威を主張するなら、そこに争いが生じ、審き合いが始まります。
  私たちが自分を主とするのではなく、神の言葉の権威に服するとき、愛の神が私たちを守り
助けてくださるのです。パスポートには、所有者の旅程を守るようにとの要請が政府の権威
でかかれています。人生の旅路において御言葉を携え、その権威を認めるなら、どのような
ところを通っても、御言葉が私たちを導いて正しい道に戻してくださり、神に逆らう生き方
から守られるのです。罪や過ちをおかしてしまうことがあっても、赦していただける約束が
あるのです。
  天国への人生のパスポートである神の御言葉をいつも手放さずに歩みましょう。そうすれ
ば、神の国の権威を持っておられるお方があなたを守り助けてくださいます。

御言葉の慰め

2009-07-01
千代崎 備道
 
  どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。
      あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。
  これこそ悩みのときの私の慰め。
       まことに、みことばは私を生かします。
(詩篇119篇 49~50節)
 
  悲しい時、苦しい時、一人でいるのは辛いものです。誰か傍にいてほしい、声をかけても
らいたいと思います。反対に、他人の声が心に届かないこともあります。誰も自分の悩みを
理解してくれないのでは、と心を閉ざしてしまうのです。しかし、自分の考えだけに囚われ
てしまうと、そこからなかなか抜け出せなくなってしまいます。心の迷宮から外に出るため
には、「誰か」の声が必要なのです。
  聖書の言葉を神様からの声として心の耳を傾けるとき、聖霊が私たちの心に働きかけてく
ださいます。泣いて祈っていたハンナは祭司エリの口を通して神の声を聞いたとき、悲しさ
から解放されました(第1サムエル1章)。許嫁の問題で悩んでいたヨセフは夢の中で天使
を通して神の計画を知り、迷いから救われました(マタイ1章)。私たちも聖書を通して神
の御言葉をいただくとき、自分の思いが変えられ、悩みよりも大きな恵みに与ることができ
るのです。
  私たちの抱えている問題が解決されるためには、罪の問題や過去の心の傷に触れなければ
ならないこともあります。魂の医者であるイエス様の言葉がメスのように心の奥に切り込む
ときは痛みがあるかもしれません。しかし、その痛みを通して神様は、表面的な解決ではな
く、根本的な癒しを与え、真の解決を与えてくださいます。ですから、御言葉を受け入れ、
自分をゆだね、お従いするとき、心の底からの慰めをいただくことができるのです。
  御言葉の背後には、私たちを救おうとされる神様の義と愛が満ちています。悲しみ悩んでい
るとき、神様の愛を思いだし、御言葉を求めて、神様の慰めに触れさせていただきましょ
う。

  「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」。
                (詩篇23篇 4節)
宗教法人日本ホーリネス教団
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