み言葉のいづみ
窮する者の祈りを聞かれる神
2013-09-01
千代崎 備道
なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現れ、窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。
(詩篇102篇16~17節)
「窮した者」とは、他の翻訳では「全てを喪失した者」と訳されています。神様は誰でも主イエスの御名によって
祈るなら、それを聞いてくださるお方ですが、特に、弱い者の祈りは決して疎かにされないのです。旧約の律法
を読みますと、寡婦や孤児といった、当時の社会的弱者に対して、神ご自身が憐れみ深いお方であり、神の民
にも同じように弱い者を顧みることを強く命じておられることに気がつきます。神様は弱いもの、力の無い者を守
られるお方です。
何故、窮する者の祈りを聞いてくださるのでしょうか。強い者でしたら、祈りつつも自分でどうにかできると考
え、祈りが聞かれたときも自分の力で出来たと考えがちで、神様に感謝したり、栄光をお返しすることを忘れて
しまいます。弱い人は、祈りが聞かれた時は神様のおかげだと思うでしょう。だから、神様は弱い者の祈りを必
ず聞いてくださるのです。このことが分かってきますと、教会において弱い方々の祈りこそ最も力がある、という
真理を知るのです。
多くの教会で礼拝堂の一番前の席にお年寄りの方が座っておられます。私も、この方々が説教を熱心に聞い
ていてくださる、その眼差しでどれほど支えていただいたか分かりません。また、教会にお出でになれない時
に、家で祈っていてくださる、その祈りにより、神様が説教者に力を与えてくださることを覚えます。
最近、各所で『御霊に属する人、肉に属する人』(丸屋真也著)という本をお薦めをしています。その本の内容
も素晴らしいのですが、その中で例話とされている著者の体験談が印象に残りました。
〔高齢者の〕方たちの多くが、…「私はもう、教会の奉仕は何もできません。お荷物になってしまいました」。
私は「何がお荷物なんですか。あなたはフルタイムで教会のため、私のため、世界のため、日本のために
祈っていてくださっているじゃないですか。これほど大きな働きはないんですよ。皆さんの祈りの中で教会が
守られ、祝されているんです。この祈りの奉仕なら、寝たきりでも何でも続けられるじゃないですか」と答えま
した。そうすると、その方たちの顔が輝いてきました。〔80ページ 〕
自分の弱さに気がついた人、困難の中で窮している人。その人の祈りを神様は待っておられるのです。ご緒
に祈りましょう。
