み言葉のいづみ
神の光に導かれる生活
2012-09-01
千代崎 備道
「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。
あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かって、それらが私を連れて行きますように。」
(詩篇四三篇3節)
海外旅行に行くと、日本の時刻と現地の時刻とが異なるために、体のリズムがおかしくなることがあります。
時差ぼけと言われる状態です。夜なのに眠れなかったり、昼間なのに眠くなったりします。そんな時に、朝早く
起きて太陽の光を浴びると良いと聞いたことがあります。強い光が目に入ることによって、体内時計が修正さ
れるのだそうです。この体内時計は一日二十四時間ではなく、二十五時間周期となっているらしくて、放って
置くと、日本にいる時でも実際の時間とずれてしまうのですが、朝の光を浴びることで毎日、補正されているよ
うです。
私たちの信仰生活でも、神様からの光を受けることが大切です。教会に来て間もないころは、この世の考え方
が心の中に強く残っているため、聖書の教える考え方とは異なる意見が強く出てきます。聖書を読んだり、説教
を聞いていても、ピンと来なかったり、「こう書かれているけれど、現実は違う」と思ったりします。しかし、神様の
御言葉が多く注がれていき、やがて、神様の御心とは反対の方向を向いていた自分の心に光が当てられ、自
分の中にある罪に気が付くようになります。その罪を悔い改めて、キリストを救い主として信じ受け入れた時、
聖霊が私たちの心に働いてくださり、新しい心が与えられ、新しい生き方が始まります。そのとき、考え方が根
本から変わり始めるのです。
しかし、クリスチャンになって間もない頃は、以前の考え方が残っており、また私たちが生きているこの世の
影響も日々受けていますから、知らないうちに旧い心に戻りかけてしまうことがあります。そのため、救いの喜
びが色あせてしまったり、御言葉の恵みを感じ取れなくなってしまうことがあるのです。そのような「黄信号」を
感じたときは、もう一度、御言葉の光を浴びることが必要です。
私たちは、毎日、神様から光をいただくのでなければ、簡単に迷いやすい者です。毎週の礼拝や週日の集会
で御言葉を学び、聖徒の交わりをすることで、豊かな恵みの光を受けることができます。毎日の聖書通読と祈り
によって、個人的にも細かい修正をしていただくのです。そうして、主の御心に沿った生き方へと導いていただき
ましょう。
